ジェロントロジーとは、人口の高齢化によって起きるさまざまな変化や問題を解決するために、医学・心理学・生物学・経済学・政治学・社会学などの自然科学、社会科学を統合することによって生まれた学問です。即ち、人の加齢にかかわる諸問題を総合的視野に立って探求する学問 《長寿社会の人間学》なのです。
この学問によるものの見方は、従来からの視点を変え、全く新しい問題解決の処方を与えてくれます。

「ジェロントロジーとは?」「ジェロントロジー的ものの見方」「種々事象のジェロントロジー式分析方法」等をSLAからやさしく話しかけます。一緒にジェロを勉強しましょう。

 【50音順】
青木 房枝 ―― Gerontologyとは
青山 祐三朗 ―― シニア期の家庭経済
阿佐美 笙子 ―― 人間関係(親と子)
荒木 千鶴子 ―― 日本とアメリカに見るドメスティック・バイオレンス
荒木 正人 ―― ハワイ・ジェロントロジーセミナーに参加して
石寺 弘子 ―― 高齢者対応型商品は人に優しい
井手 信子 ―― 福祉の分野からみたジェロントロジー
今泉 治子 ―― ジェロントロジーに期待されるもの
岡島 貞雄 ―― GERONTOLOGY(高齢者時代の人間学)(加齢学)(老人学)
岡田 久男 ―― シニア商品開発にジェロントロジーの視点を
岡田 久男 ―― 江戸時代のジェロントロジストたち
木村 怜 ―― 生活設計と家計管理
工藤 隆英 ―― アメリカ・ハワイ大学に学ぶ<ジェロントロジーセミナー> に参加して
栗原 誠 ―― ジェロントロジーとは
小林 浩司 ―― ジェロントロジーとは何か? “21世紀の夢と挑戦と実践の旅”
杉 哲男 ―― ジェロントロジーとは
田中 嘉文 ―― ジェロントロジーと生きがい
辻内 京子 ―― 異世代交流 ―人との絆―
寺島 ちずる ―― 健康と医学分野におけるジェロントロジーとは
中西 ヒデ ―― 家族関係・人間関係におけるジェロントロジーとは
中村 智子 ―― 保障制度について
根本 寿美子 ―― ジェロントロジーとは
根本 寿美子 ―― 経済
野村 俊子 ―― エイジングとは
藤井 敬三 ―― ジェロントロジーは、華麗に加齢すること
三好 重恭 ―― ジェロントロジーから見た“オス・メス”関係
森 侑子 ―― ジェロントロジーは自分学
森居 久子 ―― 家庭経済
山下 由喜子 ―― ジェロントロジーとは

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Gerontologyとは
 青木 房枝 (あおき ふさえ)

青年期より始まる加齢の過程を、良く理解し、加齢に伴う変化による影響を、出来るだけ食い止め、心身ともに自然に、安らかに、生活して行く方法を、広く学ぶ事が、Gerontologyだと思います。
選択したテーマ「医学と健康」に視点を据えてみます。

  1. 人類が長寿となり、平均寿命の短い時には、目立たなかった症状が顕在化し、誰もが其れにかかる可能性が出てきました。鬱病、痴呆症、骨粗鬆症、癌、血管硬化による諸症状、etcです。
  2. その一方、遺伝子レベルで、疾病の生じる原因が、究明され始めました。これにより、発病以前の対策も立てる事が出来、治療方法も日進月歩です。
  3. 加齢による心身の老化は、避け得ませんが、健康に年輪を重ねる事は可能です。発病に至っても、適切な治療により、回復、或いは進行を遅らせる事も可能です。
  4. ここで大切な事は、日頃から健康維持に関心を持ち、努力をする事だと思います。加えて、定期検診、人間ドックという様な予防医学の段階で、疾病を発見し、早めに治療にかかる事でしょう。

専門化した各分野の、系統だった学問、技術、知識を、人間の加齢という視点で統合した学び、Gerontologyを視野に納めて、高齢化社会を、明るく、有意義に歩もうではありませんか。

シニア期の家庭経済…充実した人生を送るために思い切った頭の転換を
 青山 祐三朗 (あおやま ゆうざぶろう)

ジェロントロジーの観点からは、人生のライフコースを次の三つのステージで捉えることができる(他にもいろんな捉え方があるが)。

第一のステージ(誕生〜25歳) : 生き方を学ぶ時期
第二のステージ(〜50・60歳代) : 仕事、家族中心の時期
第三のステージ(50・60歳代以上) : 自分を生きる時期

第一、第二の時期はともに、「ねばならぬ(have to)」が中心であるのに対し、第三すなわちシニア期は「かくありたい(want to)」の時期である。第一、第二の時期は、「ねばならぬ」で生きても、その達成の中に、人生の充実感を見つけることができたが、第三の時期は、そう簡単ではない。「ねばならぬ」必要はなくなったが、と同時に充実感(生きがい)を得ることも、漫然と生きたのでは難しくなっている。人任せではまず得られない。したがって、充実したシニア期を送るには、「かくありたい」で、自ら求めて、生を生きなおすことが必要となってくる。真の自立が求められる。
シニア期の家庭経済もこの観点から捉えなおし、組み立てる必要があるのではなかろうか。すなわち、次のことを最重点に考えるのである。

@自分のしたいことの費用を考える。
A自分への投資のための費用を考える。
しかしながら、一般的には、経ることはあっても、増えることのないシニア期の収入、「かくありたい」を実現するには、思い切った頭の切り替えが必要になる。まずは、
B子供への遺産は残さない。
C自分で建てた家は、自分たちの代で消費してしまってもよい。
このように考えるだけで、苦労して貯めた貯金の使い道に余裕が出てくるはずだ。ついで、
D子供の学費(大学以上)、結婚式の費用は面倒みない。
そういう対象であればということであるが、これだけでも、5、6百万円のお金が浮いてくる。自分たちの「かくありたい」費用は、充分に賄えることになる。
さらには、日々のことでは、
E義理を欠く。
年金生活に入って、馬鹿にならぬのが、冠婚葬祭の費用である。「ねばならぬ」でなくなったことで、見栄をはることも、義理を果たす必要もなくなったのだから、無理をしないことだ。
ということは、まず自分たち本位のお金の使い方を考えることだ。自分たちでつくったお金は、全部自分たちで使い込んでしまうくらいの気持ちで、家庭の経済を考えてみてはどうだろうか。
シニア期のライフスタイルを考えるときに、「かくありたい」にはお金がかかる、ということを覚悟しておく必要がある。逆に云えば、お金をかけることを前提として考えれば、「かくありたい」も見つけやすい、ということである。それは過去の家計費の分析の延長線上からは、決して見えてこない。
さあ、頭を切り替えることで、シニア期を充実させて生きていこうではありませんか。

人間関係(親と子)
 阿佐美 笙子 (あさみ しょうこ)

ハワイを旅行して印象に残ったことがいくつかあった。その一つに小鳥たちが、大勢の人々が集まっている足元で、楽しそうに餌をついばんでいたり、チョコチョコ歩いて遊んでいる光景があった。鳥と人間が一緒に暮らしている様子に、何かうれしく感じた。 そこで私は「朱鷺の遺言」(小林照幸著)という本を思い出した。
明治初期に「ニッポニア ニッポン」という学名をもらったトキの話であり、トキが終の棲家とした佐渡島で絶滅に近いことを案じて保護のために生涯をかけた佐藤春雄氏の熱き信念が伝わってくる。彼は、トキを鳥という視点からでなく、人間と同等の、いや、それ以上の重みを持った一つの命としてとらえ、我々に思いやりと愛を教えてくれた。トキも人間の心がわかるのではないかと思わざるを得ないことも知った。
人間社会の中でこのような共生が失われていないだろうか。少年犯罪が多く起きている昨今、自然環境が壊され、人間社会がゆがんできているのではないか、と前述の鳥の話によって感じるところがある。次の時代を担ってゆく子供達は、安心して生きてゆけるのだろうか。この世に生まれてきた瞬間から人間と、人間として向き合って生きてゆく。大人は子供が成長する過程で時には厳しく、いつも深い思いと愛情を持って接してゆく。親としての責任を全うすることが忘れられていないだろうか? 家庭という小さな集団から、社会という大きな集団に自信を持って、飛び立ってゆけるよう見守ってゆかねばならない。
ジェロントロジーを勉強している中で、一つのことだけをとらえて解決策を考えるのではなく、自然環境、社会、家族、博愛と心、地球上の命あるもの全ての関わり合いの中で、より良い社会が生まれてくる。いや、ゆかねばならない、という気持ちを強く抱いている。最後に自然の恵みは親であり、人間はその子供であることを、決して忘れてはいけない。

日本とアメリカに見るドメスティック・バイオレンス
 荒木 千鶴子 (あらき ちづこ)

近年、夫や恋人など親密な関係にある男性からの女性に対する暴力「ドメスティック・バイオレンス(DV)」が社会問題になっています。日本では、「法は家庭に入らず」「夫婦は一体」「夫婦喧嘩は犬も食わない」という考えから、よほどのことがない限り法が家庭に入ることはないが、毎年100人以上の女性がDVで命を失っています。アメリカは、20年間に渡るBW運動の中で1,800ヶ所のシェルターをつくり、家庭内暴力防止援助法をつくったが、毎年4,000人の女性が殺されている。

私の住む青森県が、1997年に行った調査ではDVにあった女性は、60〜69歳24.7% 40〜49歳20.5% 70才以上19.9% 50〜59歳18.0%とDVは、シニアの問題でもあります。1998年11月、私の住んでいる市で66歳の女性が数年間に渡る夫の暴力の末、殴り殺されました(シニアの場合は数年・数十年間に渡る暴力が多いという報告があります)。アメリカでは、クリントン大統領の母親がDVにあい、大統領は義父の暴力を子供時代に見て育ったという事もあり、とても理解を示し、1996年に24時間無料電話「1-800-799−SAFE」を開設しました。

今回滞在したハワイ州では、ダウンタウンにサポートサービス(相談所)があり、シェルター(避難所)は各島に数ヶ所ずつあるそうです。女性の要請により、男性は警察や保安官に逮捕されます。女性と子供は昼夜を問わず避難できるシステムになっているそうです。しかし、全米では、年間300〜400万人が被害にあい、女性のホームレスの半数はDVが原因で家を出た人達と言われています。
UHでなぜ女性がDVの被害にあうのかと質問した所「アメリカでは夫が経済を握っている。夫は権力がある」という返答にアメリカの別の顔を見た思いがした。今回のセミナーに参加し、SLAが積極的に取り組みDV相談窓口を知らせること、次にシェルター(現在20ヶ所)をつくること、そして法律を作る為に活動する事だと思った。

ハワイ・ジェロントロジーセミナーに参加して
 荒木 正人 (あらき まさひと)

私は、現在仕事で「介護保険」のコンピューターシステムを開発しています。
その関係から「介護保険」及び日本の福祉政策というものを勉強し、垣間見てきました。私はSLAになって1年半余りですが、その間「ジェロントロジー」という学問を各種イベントや、セミナー等で少しずつ学んできました。
しかし、日本の「介護保険」の制度化に見られる高齢社会と、「ジェロントロジー」と接点がうまく見出せない状況でした。

そんな折、今回のハワイ・セミナーで学んだ「ボランティア活動」、「音楽と心身の健康」「高齢化社会の保険計画」、「介護制度」、「エクササイズ・エコロジー」などが、全て「ジェロントロジー」の礎であり、原点であることを認識しました。そして、それぞれの学問が密接に関係を持っている事を学びました。

毎日の様に新聞紙上に「少子高齢化問題」が取り上げられています。日本でも、米国でも平均余命が延びている時代だからこそ、将来何を考えるのではなく、今何をすべきか、今日何をするかを真剣に考える必要を感じました。
それは、行政と共に自分で豊かなシニア時代を築くための当然の責務であると言えます。経済問題、健康問題、社会生活といった面で、「Ageing」に関するすべての事に自分の知識を活用し、積極的に取り組んでいくべきである。
今回のセミナーでハワイのシニアの問題点を勉強しました。気候、風土、環境が良くても、シニアの生活の保障が公的に十分得られないといった面もクローズアップされました。

こちらを踏まえ、私は「Ageing」に関する問題を国際的視野から捕らえて、コンピューターを使った情報の収集、分析を行い、それらを生かした仕組み作りをジェロントロジストとして目指したい。

高齢者対応型商品は人に優しい
 石寺 弘子 (いしでら ひろこ)

一昔前の「大量生産大量消費時代」のターゲットは、働き盛りの成年男性や将来性のある若者であったから重厚長大型の商品が主流となっていた。故に、高齢者が軽薄短小型の商品を求めても希望が叶えられず、求めた商品の使い勝手が悪くても、不満を言う術もなく、我慢をしたり、自分の出来る範囲内で使用することで事なきを得てきた。
しかし、社会が成熟化し、バブルがはじけて、消費者が本当に入用な物は何かが見えてきた今、個人個人対応の商品提供時代(商品多様化)に入っていくことになるだろう。特に、高齢社会が本格化する21世紀には、団塊の世代も視野に入れた中高齢者ターゲットの商品開発が求められると考える。

高齢者世帯の年間所得(平成9年)について、「国民生活基準調査」(平成10年)(厚生省)では、323万1千円で、全世帯(657万7千円)の半分程度に過ぎないが、世帯人員一人当たりでみると、高齢者世帯の平均世帯人員が少ないので、支出できる金額は全世帯の一人平均とほぼ同じとなる。
貯蓄高も全世帯の1.5倍で、負債がない高齢者が83.6%もいるので高齢者の経済は極めて健全である。ただ、彼らは将来の生活に不安を感じているので、こうした経済的余力を維持しているのであり、潜在的消費能力が高いからといって、直ちに消費拡大に結びつくものではない。不安のない福祉社会の構築が待たれる。

なお、高齢者対象の商品開発をするにあたっては、次の点に留意する必要があるだろう。高齢になると視力・聴力・筋力等体力が低下してくるので、低下した体力をさりげなく補うような「人(誰にでも)に優しい商品」作りを考える必要がある。例えば、毎日使う日用品は、高齢者の体力に合わせた身の丈サイズの商品が望まれる。これを使うことで最期まで身の回りのことは自立して出来るし、障害者や力がない女性や子供にも使いこなせる商品となると思う。今後は、コストが高くなっても、こうした需用者に応じた木目細かい配慮が求められることだろう。

福祉の分野からみたジェロントロジー
 井手 信子(いで のぶこ)

高齢者福祉を考える時、人間を総合的にとらえる考え方は既に実践されていると考える。
人権擁護の意味からも身体的、心理的、精神的、社会的、経済的、家族、介護、孤独等々その人の生活を全体的に生きる権利を保障するという福祉の分野ではすすめられてきた。
医学の面においても高度専門化された医療から、高齢化と心臓病、関節、脳疾患と別々ではなくトータルに人間一人一人を診るという考え方が広がりつつある。しかし現実には我が国の医療や福祉が縦割りであり、様々な支援策があるにもかかわらずその人を丸ごと支えるシステムにはなっていなかった。
介護保健法にケアマネジメントという概念が導入、実践されることとなった。ジェロントロジーの概念が活かされ、高齢者福祉の要介護の現場で実践されることと高齢者全てに対して総合的にライフサイクルに合った生活を考え直すことになると考える。

ジェロントロジーに期待されるもの
 今泉 治子 (いまいずみ はるこ)

≪ジェロントロジーとは≫
加齢と共に起こる高齢者の諸問題の研究を、あらゆる分野の学問から網羅し、それらを総合した観点から判断し、偏りのない解決策を導き出す学問、即ち「総合老年学」である。社会全体像をとらえることが可能なこの学問の研究は、高齢社会の中で、今までの社会通念に疑問を投げかけたり、全く新しい見方を提供する事例も多い。
この学問の研究が、公共政策やビジネスをはじめ、社会全体の情勢に与える影響は大きく、高齢者のクオリティーオブライフの追求に、大切な役割を果たしている。

≪ジェロントロジーにおける私の提案≫
今、身近なところに視点を置いて、高齢者の住まいについて考えてみる。
これまで、高齢者たちは自然や緑を好み、郊外の生活が理想的と考えられてきた。
しかし、都会的、文化的生活を経験してきた現代の彼らの中には、もともとそうした生活を好まない人々や、郊外にある邸宅や庭の世話から解放され、都心暮らしを考えている人々も少なくない。
都心の生活は便利である。生活必需品が身近で揃い、文化施設も至近距離にある。救急医療の対応も早く、高度医療が受けられる。交通の利便性はもとより、離れて暮らす子供たちも訪問が容易である。
生活空間の狭さやコストの高さなど、それなりの欠点はある。しかし、それらを差し引いても、都心の利便性を優先したいと考えている高齢者も少なくないことは事実である。
都心は高齢者にとって、住み易い場所のはずなのに、残念なことに、都心のマンションは、何故か高齢者の対応に目が向けられていない。
バブル崩壊後の土地の下落、建築基準・容積率の緩和、定期借地権の導入など、都心のマンション価格も下落した。
既に、都心の公共の施設やデパート、ホテルなどでは、高齢者対応の設備を殆ど完了している。
都心のマンションも、そこでの生活を望む高齢者たちのために、早い対応を提案したい。

≪今後の課題≫
今後、ますます多様化していく高齢者たちのクオリティーオブライフ。それらの追求や起こりうる諸問題への解決に向け、ジェロントロジーの果たす役割は大きい。
そしてそこから得た研究成果をジェロントロジストたちが、いかに実社会に具体的に反映させ、真に豊かな高齢社会を作り上げていくか、期待は多大である。

GERONTOLOGY (高齢者時代の人間学)(加齢学)(老人学)
 岡島 貞雄 (おかじま さだお)

ジェロントロジーとは我々シニアライフアドバイザーの間では、「高齢者時代の人間学」というのが一般的である。医学、生物学、心理学、社会学、経済学、工学など学際的にあらゆる分野を総合的に調査、研究、提言し、高齢者の生活、社会参加の向上を目的とするものである。自分流に次の言葉で考えている。「高齢者や弱者が自分の弱みを見せても安心して生活できる社会環境づくり」。

人間関係のトラブル解決法について述べてみる。私たちは人間関係を持つ場合、過度の一般化的に人を見ていないか、数少ない経験で全てをそれに合わせて判断していないか。人間は多種多様である。
投影心理、即ち自分の嫌な面を自分で認めることを避け、それを他人に投影して他人の事として認めている。例えば、「人間はずるいものだ」と主張する人が非常に「ずるい人」であったりする。人間関係を上手に持つためには人を鏡として自分自身に充分注意が必要。

人間関係のトラブル解決法について述べてみる。

  1. 環境の違いをお互いに認め合うこと、トラブル発生の原因を環境面から検討し解決法を探し出す。
  2. 欲求の対立、問題を明確にするためにIメッセージで相手の欲求をつかむ。自分の欲求を相手に押しつけるのではなく、双方の欲求を双方が理解することが大切であり、勝ち負けでなくお互いに歩み寄りで解決策を作る。これを勝負なし解決法、または、WIN&WIN 解決という。
  3. 価値観の対立、自分の価値観で相手の価値観を否定しないこと。自分がモデルになる人は「いうこと」よりも「やること」を見ている。自分を変える勇気を持つ、価値観は常に変化する。他人の価値観を認める勇気を持とう、そしてトラブルの解決を。
シニア商品開発にジェロントロジーの視点を
 岡田 久男 (おかだ ひさお)

バリアフリー、ユニバーサルデザイン、ノーマライゼーション……こんなキーワードが飛び交いはじめて、すでに久しい。シニア商品を開発する際に書かせない思想の流れだが、コトバが先行した割に、バリアフリー以外はまだ市民権を得ていないのが実感。(ハワイ大学でのジェロントロジー・セミナーを聴講しながら)私は今自分が知る限りの、シニア商品の開発やサービスのあり方と、ジェロントロジー・プログラムの内容との接点をさぐっていた。そして自分なりに確認・確信できたいくつかを以下に集約してみた。

ひとつは総論だが、シニア商品のメーカー・提供サイドこそ、ジェロントロジーの視点をもって開発にあたるべきだという確信である。シニア商品はモノ商品とソフトウェア商品、つまりシステム・サービス商品とに分けられようが、シニア商品やサービスは生命や精神面に直接関わるものが多いだけに、ジェロントロジーの視座は欠かせないと考える。

2つ目は、シニアマーケットは画一的にとらえることはできない、という再確認を得たことである。このマーケットは概ね「備え」と「対応」のマーケットで形成される。予防と“対症”、養生と治療。そこに至る中間ターゲットも無視できない。年齢ではくくれないエイジレスな、個々人をスライスするかのごときキメ細かさが要求される。

3つ目は、SLAあるいは自分のポジショニングで何ができるか?だ。SLAとして上記の2つにより深く、よりミクロに係わっていくことで課題に応えたい。そこで提案だが、「SLA・Anet」(アンテナ・ネット)を構築してはどうだろうか?まず最初のプログラムは「プロブレム・リサーチ」。シニア自身の不便、不安、不満を全国のSLAネットで吸い上げる。つぎに「あったらいいな・プログラム」も欲しい。クライアントが持つ問題解決にあたるのはSLAのきわめて自然な「エイジング・アクティビティ」だし、それがシニア商品の開発に役立つなら、なおさらハッピーではないか。

江戸時代のジェロントロジストたち
 岡田 久男(おかだ ひさお)

理想の循環型社会を江戸時代に学べという気運が高まっている。同じことが「江戸の老いの文化」にも言えそうだ。人も物もゆったりとした流れの中で、蓄えた知識や技能がいつまでも役に立ち、年寄りの役割が厳然としていた時代。老いが尊く見られ、老いに価値がおかれた社会でもあった。こうした風景は今でも祭りや、伝統的風俗習慣などで現代に受け継がれているから、タイムスリップしなくとも身近に例を見ることができる。

寿命が意識され、病いや養生に関心を持ちはじめたのも江戸時代であったといわれる。「日本永代蔵」の西鶴は、後半人生を愉しめ、そのためにも「身と家を固めておけ」と説き、貝原益軒もまた身養生、心養生、家養生を説いた。なかでも『楽訓』は「老年をいかに楽しむか」の指南本だった(日本の名著「貝原益軒」)。杉田玄白も人生の後半に幸あれ、と医の視点から力説した。いずれ劣らぬこの時代の優れたジェロントロジストであった。

またこの時代の「隠居」は、人生後半の「生きがい」を実践するライフスタイルであったと言っていい。伊能忠敬は55歳で隠居し日本列島地図作りのライフワークに旅立った。そして200年後の今、「伊能ウォーク」として形を変え現代びとにルネサンスした。北斎、滝沢馬琴、十返舎一九らも人生の後年に、後世に名をなす大仕事を残している。庶民も老後を楽しむなか、食べ、飲む、遊ぶ(詣でる)、着る、江戸庶民文化を開花させた。

さて、私は「炭焼き」をキーワードに森林化社会(コミュニティ・フォレスト)づくりに参加している。異世代に、環境や自然の生態系を伝承するエイジング・アクティビティのひとつだと自負している。焚き火のコツを教えていた土地の古老は「あの子ら、俺ラのこと先生!だと」。そう言ってテレた顔は喜びに溢れていた。ゲートボールに飽き、日向ぼっこをしているシニアの新しい出番づくりを、江戸時代に学びながら続けたい。

生活設計と家計管理
 木村 怜 (きむら れい)

ジェロントロジーとは
どのように年をとるかということである。つまりどのように生きるか…と私は認識する。

人の生涯は健康、経済、心の3本柱のバランスを保ちながらそしてケアしながら生涯を終えたいと誰しも考える。健康、経済、心、これは基本の3本柱だ。頭文字をとって3Kと名付ける。私はこれにあえて、ISを加える。社会性である。個が弧にならないためにも家族、地域、社会のつながりの中で人間関係を保っていくことが大切である。
その中でも経済の裏付けが重要課題であると思う。今回、その重要性から家庭経済(生活設計と家計管理)に焦点をあてる。
家を建築するには設計図が必要である。同じ様に人生にも設計図が必要だ。健康と経済はその土台であり、しっかりした土台の上に家が建つ。この土地となるものが土壌であり、それがその人の価値観である、と私は思う。従って人それぞれの価値観という土壌の基に各人の個性ある家が建つ。
日本の人口構成、長寿社会、社会構造の変革を踏まえ、シニアの生活設計の基本は自助自立の生活を目指す、また、そうせざるをえない背景を背負っている。そこで老後の経済設計は収入の生涯適正配分、どう暮らせたかという実現可能な夢の設計、健康に生きるための予算化である。これが大まかな第一STEPである。

次に具体的に見る。
まず気になるのは、全体でどのくらいかかるかだ。平均的数字(便宜上)で見る。1997年総務庁の家計調査では高齢夫婦世帯の消費支出は257,788円/月である。幾分のゆとりを加えても360万円/年となる。これをベースに60才以降約20年の生活必要額の総計は約7,200万となる。このうち、国民生活基礎調査によると公的年金で55.5%まかなえる。これが平均的数字である。しかし、基礎年金のみの世帯もあり、そうそう甘くはない、というのが現実である。
しかしこの目安の数字はシニアの人々が考慮に入れておくべきものとして決して無用の目安ではない。個人の生涯収入を目録みこの目安値から離れて生ずる不足分は各自の方法で補っていくことを考えるのもシニアの設計の課題である。

次に家計管理である。
まず総資産のプラス・マイナスの総点検が必要であり、プラス財産をどう運用するかが次のSTEPとなる。
シニアの資産運用として重要な原則は安全性である。金融政策の規制緩和という時代背景を基に多種多様な商品が販売されている。自己の生活設計に合わせて、中立、公正な客観性を持つファイナンシャルプランナーの資格をもつ専門家に相談すると良い。しかし自己責任の原則は従来に増して求められていることを自覚したい。今後は財産三分法から脱却し五分法を考えるべきであろう。

リスクへの対応
要介護、病気など加齢と共にこの危険度は増す。自分の命を守る本能、残される遺族を守る本能がある。これへの対応は保険である。しかし必要以上に加入する必要はない。
シニア期に必要となる資金項目は大まかに次の様になる。
 1. 老後生活資金
 2. 医療・介護資金
 3. 緊急予備資金、相続対策資金
 4. 損害保険
以上を概算し、その内どれをどの位保険で補うかを整理する。

アメリカ・ハワイ大学に学ぶ<ジェロントロジーセミナー> に参加して
 工藤 隆英 (くどう りゅうえい)

ジェロントロジーとは、人口の高齢化によって起きる様々な変化や問題を解決する為に、医学・心理学・生物学・経済学・政治学・社会学などの自然科学。社会科学を統合することによって生まれた学問です。即ち、人の加齢にかかわる諸問題を総合的視野に立って探究する学問《長寿社会の人間学》なのです。
人は誰でも老後の人生を「健康で心豊かに、そして生きがいを持って華麗に長生きしたい」と願っている。しかし、人間は病気になったり、不測の自己に遭遇することもある。そして個人は家族、社会、国等の関わりの中に生きている。こうした願いや、癒し、そして問題を解決する規範(羅針盤)となる学問こそ“ジェロントロジー(Gerontology)”なのです。(ジェロントロジー教育の第一人者、デービット・ピーターソン博士)

この学問のキーワードは、『健康』であり、人間が長寿を保持するには静謐な環境と個人の具体的な方策として、@栄養A運動B休養C生きがいを挙げることができる。

今回のセミナーで学んだ13名の博士の講義から体験実習した次の3点を紹介します。

  1. 「輝き続ける人生を送るために」(エーブ アーコフ博士)のライフレビュー/ライフエンハンスメントのワークショップについてのプログラムでは、「14項目のライフクエスチョン」の問題が提示される。これを小さなグループでこれらの問題に対する答えをシェアすることで、各人がそれぞれ自分の回答を確立する事を目的とします。グループのメンバー間の有益な相互作用を促すために、参加者全員が“癒す存在”、そして“癒す語り手”になることを学んだ。
  2. 「音楽と心身の健康」(ハーヴィー博士)の病気の予防と回復に音楽がいかに効果があるかについて、歌うこと、楽器を演奏すること、また動いたり聴いたり、創り出すことを通じて「ウェルネスの方法としての音楽の創作」を体験した。
  3. 「健康な老い/上手な老い」(キャサリン ブラウン博士)では、“あなたは何歳まで生きられるか”を12項目に当てはめ研修生がそれぞれ自分の余命を計算した。ここで、内容の詳細を開示できないのがとても残念です。

こうした手法の学問により、人はものの見方が従来からの視点を変え、そして全く新しい問題解決の処方を習得することが出来るのです。

ジェロントロジーとは
 栗原 誠 (くりはら まこと)

ジェロントロジーとは、一言で述べると「科学的に裏付けられた、高齢者(障害者含む)を全て網羅する学問・実践」であると定義します。理由は以下に示します。

高齢者を取り巻く日本の環境は、社会・経済・行政から大きく変化しつつあり、身体についても健康面から大きく変化しようとしている。個人の外面、内面から分けてみる。
まず外面の変化は、長生きによる年金・貯蓄・相続などに対する社会政策の変化や生活消費及び消費形成による経済政策の変化である。手持ち資金の運用、相続による家族との関係など自己責任と自己判断、そして選択が求められ、生活消費も今、必要なものの当用買いと人生を展望し、将来も自立が可能で継続できる住居(バリアフリー)、器具(情報通信機器)等の購入という変化があげられる。また個人の身体機能への変化は、医療・介護・看護の公中心サービスから公と民、あるいは公・民連携サービスへの流れである。長生きは、就労にも変化を生じ、政治・経済・社会の軸の影響に重大な社会構成変化をもたらしつつある。
内面では、生きがいのある生活、生活精神満足であり、予防医学を含めた予防への概念、健康管理、健康寿命認識など健康への変化である。食、食品、医薬品のモノの開発や精神ケアを含めたセラピーの促進である。

外面、内面とも広範囲の理解と専門性が求められ、高齢者に対するサポートへの知識と技能取得の努力と研究、地域における実践がジェロントロジーと心得ます。ジェロントロジーは、高齢者への学問・研究と共にシニア市場へのアプローチも可能で学問から新たなビジネスへ橋渡しも行える『活動的学問』ともいえるのではないでしょうか。

ジェロントロジーとは何か?“21世紀の夢と挑戦と実践の旅”
 小林 浩司 (こばやし こうじ)

自分にとって「ジェロントロジーとは何か?」という問いに対して『〇〇である。』と即答することは難しいが、少なくともこれまでの生活体験やSLAとして研鑽を積んできたことに加えて、社会を取り巻く学問領域に自らを置き、自分及び他者を奮い立たせるものである、と考える。

これからの日本の社会のあり方、とりわけ21世紀の日本を展望する時、長寿型国家の将来像をしっかりと念頭に置き、行政・企業・民間レベルでの連携や独自の施策の展開が望まれるところである。
エイジングという概念は「いかに長生きするか!」を含むものであるが、広義の理解としては、高齢者それぞれの年代を如何に健康で、心豊かに年齢を美しく重ねることができるか、ということである。ジェロントロジーとの関係について考察してみると、エイジング(加齢)を究極のところでくくろうとすると大変狭いエリアでしかカバーできないことになるが、ジェロントロジーは既存の学問領域を越えて密接に関連し、インターラクティブに関係性を有するものといえるところから、21世紀のキーワードとしてしっかり押さえておくべきものである。
日常生活全般から、法律・経済・社会科学・医療・環境など、あらゆる分野を含むものが、ジェロントロジー学として紹介することができるようであり、自分にとってのジェロントロジーは、まさに今を生きる自分のあり方であって、生活信条の一つに挙げてよいものである。
よって、私たちジェロントロジーを学び、実践するものがジェロントロジストとして高齢者の抱える諸問題に積極的に挑戦する役割を担うと共に、ジェロントロジストとしての技能を身に付けて、実社会で応用するための知識習得に、旅立って行かなければならないと考える。

ジェロントロジーとは
 杉 哲男 (すぎ てつお)

T. ジェロントロジーとは
エイジング(加齢学)を基本に人間の生き方を考え、その人間が構成している社会の在り方を考察する学問である。人はこの世に生を受けて死ぬまで年齢を重ねる。年齢を重ねるに伴い肉体的にも精神的にも成長し変化し続ける。その成長・変化の家庭はある程度共通的な部分もあるが、その人の人生固有のものとして千差万別であり、ここに人間としての生き方をそれぞれが考える由縁がある。同時に人間は一人では生きて行けず社会の構成員として相互に影響を受けつつ成長・変化を遂げており、社会そのものの発展・変化に対してそれぞれが加担すると共に大きく影響を受けることにもなる。人間の成長・変化と社会の発展・変化の相互作用を分析・考察しつつ「人間社会の永遠の幸せを追求すること」がジェロントロジーの学問としての役割であり、使命でもある。
人類は20世紀を迎え科学の進歩を支えに長寿社会を手に入れた。人間ひとりひとりが人生80年時代を視野に入れた生き方を模索しなくてはならない時代を迎えたわけであり、そのことが招いた少子高齢化社会は長寿を寿ぐとともに多くの課題を人類に突きつけている。ジェロントロジーが実践的学問として注目を集め普及されるべき必要性はここにある。「高齢化社会の人間学」として人類の進歩・発展の証として手に入れた高齢化社会を真にポジティブな現象として定着させるための仕組みを人間ひとりひとりの自覚と知恵で創り上げる必要があり、その道しるべとして研究が進められるべきである。

U. 私のジェロントロジー
「美しく健やかに年齢を重ねたい」これが私の願いである。ジェロントロジーとの出会いはジェロントロジストとして生き抜きたいという願いに置き変わった。
「これからの残された人生をどう生きるか。」学生時代に別れを告げて以来、職業生活と家庭生活において常に意識の底に「こう在らねばならない(HAVE TO)」という思いがあり、懸命に課題に取り組み突き進んで来たと云えよう。子育ての時代を無事終え、職業生活の終焉を数年後に控え、今までの環境からの変化の中で自らの「生きがい」を求めながら残された人生の在り方を考えねばならない。
「生きがい」を持って生を全うした先達はいずれも自らの「ライフワーク」を有していた。「こう在りたい(WANT TO)」という明確な目標に基づいたライフワークこそがその人の人生をいつまでも活き活きと美しいものにしてきたと云える。私のライフワークを「ジェロントロジストとしての自己実現」に置きたいと考える。このライフワークの実現への道のりは果てしない。到着点は永遠に訪れないはずである。そのことを承知の上で挑まねばならない。まさに自己との闘いであり、自己実現への道である。

V. ジェロントロジストとしての自己実現
ジェロントロジーの役割が「人間社会の永遠の幸せを追求すること」である限り、定められた「こう在らねばならない(HAVE TO)」という思考や行動の呪縛に捕らわれることはない。むしろ「こう在りたい(WANT TO)」という自らの想いと自らの能力の中で精一杯「人々との幸せを分かち合う」ことを求めることが肝要である。そのための取り組みがこれから始まる。身近なことからの「こう在りたい(WANT TO)」は次の通りである。
≪自らの日々の生き方として≫
1. 「明るく楽しく元気良く」微笑みを忘れず
2. 「堪忍は無事長久の素、怒りは敵と思え」ストレスをつくらず
3. 奉仕の精神を忘れず
4. 心身を健やかに磨き続ける
≪ジェロントロジストとして≫
1. この学問の深淵を追求する。
2. この学問を我が国の学校、企業、社会教育のカテゴリーに組み込む一助になりたい。
3. ジェロントロジーの知識と自らの経験による知恵をもとに、ボランティアの実践に努め健やかな
 生き方を共有したい。

ジェロントロジーと生きがい
 田中 嘉文 (たなか よしふみ)

ジェロントロジーとは「老年学」というが、高齢者の諸問題をその年域に差しかかってから考えるのでは遅いのではないか。特に健康面の問題は若いうちから取り掛かるべきであると思う。高齢に至ってからの自立環境の確保は、それまでの長い加齢の道のりの上に成り立つもので、その意味では、ジェロントロジーは「人間の一生学」と言う方がふさわしいのではないだろうか。

自分自身のジェロントロジーとは何かという固有の問題として捉えれば、やはり、自立期間の最大延長のためにいかにして精神的肉体的健康を保つかを追求することになると思う。それは精神的刺激を追い続け、肉体の活動を停止しない自意識と努力を保ち続けることになるだろう。それが「生きがい」というものだと思う。

もう少し見方を変えてみると、人間は老年に至ってからも、与えられた、もしくは自ら選んだ環境の中で、幼児や少年から同年者や年長者に至るまで、さらには異性(配偶者を含め)等々あらゆる年代や異性との社会関係を維持しなければならないわけだから、ジェロントロジーとは「人間同士及び自然環境との総合的相対学」とも言えるわけで、考えれば考えるほどジェロントロジーの定義は難しく、その世界は際限なく拡がっていく。ハワイでの講座で習得したことも多いが、?マークだけが増幅した点も少なくない。

SLAになることによって触れることの出来たジェロントロジーという新世界を先ずは自分のために取り込むことから始めたい。早く何か納得するものを得て、「生きがいづくりのためのジェロントロジー」を周囲や社会に提案したいと思う。

異世代交流 ―人との絆―
 辻内 京子 (つじうち きょうこ)

今まで、孫と祖父母と言えば、家庭という最も身近な小社会でのごく当たり前の異世代交流でした。しかし核家族化が進むこの頃は「孫と上手に付き合う法」という本が出版されたり、自治体が「孫育て学級」を開催するほど異世代交流は生活と無縁になってきたようです。
家族社会学では祖父母の孫との接し方を、育児やしつけに積極的に関わる「扶助義務型」とあまり関わろうとしない「不干渉型」の二つのタイプがあると言います。いずれの場合も保育に何より大切な愛情が祖父母に必ずあるので、その点では先ず安心とか。
交流によって、エネルギー、パワーを貰うシニア側はさて置き、相対する世代はシニアに何を望んでいるのでしょうか。
思春期だったり、多感な世代の青年たちは、親、教師、上司といった先輩たちとのギャップをどのように埋めているのでしょうか。
海の男が海を語るのはステキです。海の偉大さと自然への挑戦を語るその姿は男のロマンです。しかし、多くは船会社の社名と会社の規模と自分の肩書きを口にします。
人生の先達として、お説教ではなく夢を、自慢ではなく道程が語られたら、それは正に異世代交流と言えるでしょう。

ハワイ大学ジェロントロジーセミナーで、優しい微笑みを浮かべたキャサリン先生はご自分のおばあちゃんは「私が学ぶことに何でも興味を持ちました。大学で心理学を学ぶといったら心理学の本を読みました。」とおっしゃいました。
自分の子育てでは、子供の勉強についていこうともしなかった私でしたが、孫の時は、ばばの愛で“心理学”までチャレンジしたいと思っています。

健康と医学分野におけるジェロントロジーとは
 寺島 ちずる (てらじま ちずる)

高齢化社会における人間学とジェロントロジーをとらえると、人々が健康で生涯を終えることが社会の最大の課題であると言っても過言ではない。 健康と運動の関係での運動学。
健康と食べ物の関係での栄養学。
健康と休養の関係での音楽や芸術、旅行。
健康とライフスタイルの関係での自然環境、住宅、家族、趣味。
そして健康であり続けるための予防医学。
特に予防医学分野の拡大と発展を望む。

以上の事柄をageingをコンセプトに学んでいきたいと考える。
特に従来からある、各種の健康法をジェロントロジーという学問を通して再構築することを具体的な試みとして手を付けて行きたい。
ジェロントロジーとはこれからの私の人生の指針となる学問と捉えている。

家族関係・人間関係におけるジェロントロジーとは
 中西 ヒデ (なかにし ひで)

人間が2人以上寄れば不和はつきものと言われます。親子・嫁姑(舅)・夫婦・上司と部下・友人間等々、日常生活で出会う人間関係をいかに上手にもち、ストレスの少ない生活を実現させるかが課題だと思います。
人間関係のもちかたは、大きく分けて感情的態度と科学的態度の2通りが挙げられます。一般的に感情的態度での対処では、上手な関係を持つことが出来ないようです。
そこで科学的態度での対処が良い人間関係をもつために大切なことと思います。
その科学的態度とは、次の「ハテナ?」をしてみることと言われます。
 ■ なぜあんなことを言ったりやったりするのかな?
 ■ 問題はどんなことか? 何が不満なのか?
 ■ 相手がそう考えざるを得ない根拠は何か?
 ■ 解決するにはどうしたらよいか?
 ■ 相手の心身の状況はどうなっているのか?
 ■ 自分のどこが気に入らないのか?
これらの問題の輪郭をとらえることにより、より良い解決方法を見つけだせるものと思います。

老年期は「喪失の時代」と言われるように、お金・健康・つれ合い・それに地位や役割まで喪失しやすい時代です。しかし、基本的欲求である、生理的欲求、安定・愛情の欲求、所属の欲求、成就の欲求、社会的承認の欲求が満たされない欲求不満の状況では精神的安定は保たれません。
「相手の立場に立って考える」ことが誰とでもうまくやっていけるコツです。
相手を知り、自分自身を知ることが大切なこと。そのためにエイジングの過程を学習し、理解し、認識することだと思います。
すなわち、愛と感謝が育まれる家族関係・人間関係を築くため、相手を許容できる心の大きさを広げることと考えます。

保障制度について
 中村 智子 (なかむら ともこ)

メディケア、メディケイトというアメリカの医療制度を知り、日本での社会保障、医療保障等というものが、もしかして世界各国の中でも恵まれているのではないかと思った。 私達はそれを自覚するためにも、複雑な保障制度をシニアに分かり易く伝え、恵まれている部分は維持し、不足分は補っていけるように活動したいと思う。

国の制度にお任せというだけでなく、自分達がかかわる制度がどのようなものであるかしっかりと見つめることが自立につながり、自分達が若い世代にこのことを伝えることが、使命ではないかと思う。

めまぐるしく変遷してゆく制度を、「知らなかった」という不公平が起こってはいけない。そのことも含めて私の中のジェロントロジーとしてゆきたいと思う。

ジェロントロジーとは
 根本 寿美子 (ねもと すみこ)

生きてゆくことの全てがAgeingであり、その過程に社会学、経済学、生物学、医学、心理学があり、全般に関わる学問がジェロントロジーであり、幅広い層から成り立っている。そこで自分は年をとったらどうなるのか、そして周りの友人、家族はどのように変わっていくのか知りたい。

老いの姿は人それぞれ多様である。では上手に老いるのには
 1. 食生活
 2. 運 動
 3. 生涯学習
など目的意識を持つことが大切であることに気がついた。では元気な高齢者はどのように生きたらよいのか。

≪例≫
 ・ 心を癒してくれる ミュージックセラピー、エクササイコロジー
 ・ 世代間交流
 ・ 知的関心を高める…美術館
 ・ 家の外に生活の場をもつ…趣味、仕事
 ・ 限られた時間を思い残すことなく自分のために使うという贅沢を楽しむ

ソクラテスの「何も試さない人生は無きに等しい」という言葉はその通りだと思う。ハワイでは多くの仲間とのエンカウンターが有りネットワークにつなげてゆきたい。

経 済
 根本 寿美子 (ねもと すみこ)

貧困の中での健康管理は無理。そこで生活基盤となる経済に目を向けてみた。
今、経済成長の低下と同時にIT社会へと世の中が大きく変わろうとしている。特にシニアが期待していた利息生活は望めなくなり、誰もが自己責任という厳しいリスクを伴う運用に変わってきている。
医療、介護など受けるにしても経済抜きでは成り立たないのが現状だ。そこで自己の資産内容を知ることは重要であり、余裕ある資金ならどれ位のリスクがとれるのか、どんな商品を選んだら良いのか、年金はどれ位なのか、その中で、マル優、非課税などの有効活用と整理が必要になる。これも情報を得たり積極的に勉強したり、と必要なサービスは賢く利用したりする。そして質の高い医療・治療を受けられるよう早めに準備しておくことが大切であると思う。それにしてもシニアの再就職は厳しく賃金が安いのが現状である。

エイジングとは 年をとるプロセスにおける家族関係・人間関係
 野村 俊子 (のむら としこ)

人間が生まれてから死ぬまでの成長の段階を幼年期、少年期、青年期、壮年期、中年期、老年期の六つに分けて考えると、中年期の次に向老期を入れて、七つに分けることも出来ます。
仕事を引退し、子供も独立し、これから何をやればよいかと、心にポッカリと穴が空いたように感じる人も少なくありません。しかし、これを逆に考えれば、社会のしがらみや義務から解放され、自分の好きな事だけに毎日を費やせるということでもあります。まして栄養状態が良くなっている現代では、肉体的にもまだまだ何でもやれる年齢です。これまでできなかった様々な事に挑戦できる、自分の為の“本当の人生”が始まるのです。

子供が可愛くない親はいません。子育て、躾、進学と子供中心の生活になるのもある程度はやむを得ません。ただし子供は、大人になれば巣立っていくのだという事だけは忘れてはなりません。こんな当たり前の事を忘れている人が多いような気がします。手塩にかけた子供が結婚して家を去り、残された親は心にポッカリ穴が空いて、急に老け込んだという話はよく見聞きします。しかも年をとれば、仕事上の義務や責任も次第に減ってきて、会社での存在が希薄になってくる時期でもあります。公私とも生き甲斐を失って、いったい自分の人生は何だったんだろうかと気持ちが孤独に落ち込んできます。

人生を振り返ってみますと、子供の頃は、親が育ててくれました。学校に通うようになれば、教師が育ててくれます。仕事や過程を持つようになれば、今度は社会が育ててくれます。しかし高齢になると誰も育ててくれません。自分で自分を育てなければならない時期がやってきたのです。従って、ジェロントロジーとは年を重ねる自分学であり、これから加齢になる自分学でもあります。

ジェロントロジーは、華麗に加齢すること
 藤井 敬三 (ふじい けいぞう)

人は皆、加齢の果てに生命の終わりを迎える。シニアにとって、残された人生をいかに有意義でハッピーなものにするかが、自分自身の課題でもあり、周囲の人々の課題でもある。
シニアの抱える問題は多岐にわたるが、そのなかでも「健康」が、かなり重要な部分を占めると思う。「おまえ百まで、わしゃ九十九まで、共に白髪が生えるまで」と謡われたとおり、天寿を全うする直前まで心身共に健康であることが最大の理想であり、その結果、介護をはじめとする諸問題が軽減されることにもなる。
国際比較では日本は世界一の長寿国である。しかしながらシニアの健康状態にはかなりの個人差がある。長寿であっても介護を必要としない自立した元気なシニアと、痴呆症などで家族の介護に依存しているシニアとでは、長寿の意味合いが大きく異なってくる。

シニアの「健康」は遺伝子による宿命的な部分と、生活態度、栄養管理など自助努力による部分とがある。天命に左右されるのは致し方ないにしても、正しい知識と生活態度の変革により疾病を予防し、年齢相応の健康状態を維持することは可能である。
「健康」が満たされてこそ、シニアの社会参加や円満な人間関係が生まれ、世代間の交流や役割分担が確立されることになる。
ジェロントロジーはシニアだけに焦点を合わせるのではなく、ジュニアを含めた社会全体の問題を研究対象とするが、「健康」についても例外ではない。人は誕生から加齢し、シニアに至る。シニアの健康は若い時からの長年にわたる生活習慣の結果に大きく左右されている。シニアの健康を研究することが、年齢をさかのぼって、若年者の健康意識を喚起させることにもなる。
わが国には翁(おきな)という言葉がある。高齢者への尊敬語であるが、そこには円満な人格と、健康的で充実した生活を送るシニアの姿を連想させる。シニアの豊かな人生経験と知恵が、若い人々の生活の指針となり、世代間交流のリーダー的存在でもあったことだろう。

21世紀前半には超高齢化社会を迎える。シニアの周辺には様々な問題が存在しているが、最も重要なキーワードは各世代の自立と共生である。お互いに人格を尊重し合う社会それを実現させるためには「健康であること」が大きな支えとなるに違いない。
ジェロントロジーの目標は、華麗に加齢することでもあると思う。

ジェロントロジーから見た“オス・メス”関係
 三好 重恭 (みよし しげやす)

高齢期は生物としての子孫繁殖の役割を終えた後の期間である。他の生物では存在意味がなく、地球上から消えていくのが普通である。ましてやオスとメスが協力する意味のない時期である。人間だけに存在するこのライフステージは一体何なのか。生物の進化から見てどのような意味があるのか。
肉体的に見ても女性は閉経し、男性は精子の質が衰え人類進化に貢献する子供はつくれなくなる。なのに何故いつまでも生きているのだろう。生物進化の法則から考えても不思議なことである。
しかも、この不思議なことが起こってきたのは人類の歴史から見てもほんの一瞬とも言える、我々の生きた20世紀後半でのことだ。さらには、この地球誕生以来、生物として初めての出来事とも言える。
人間のみに与えられた高齢期は、今までの進化の法則からでは考えられないライフステージ。しかも、そこにおける性の意味は何なのか。
特に女性はの場合は子供を育て終わってから、言い換えればメスとしての生物役割が終わった後40年近くも生きることになる。生きる期間の半分近くにも相当する。
人類がこれからも寿命をさらに伸ばす努力を続けるのならば、その前にこの問題を解明しておく必要がある。

この地球上に生物が誕生してより、それぞれが進化を繰り返し、その一部は動物となりさらにその一部は哺乳動物となり、その一部は猿となり、その一部が「ヒト」となった。そして、今やその「ヒト」がこの地球上を支配するに至った。
地球上の動物の進化の原動力となってきたのが、この“オス”“メス”の性の力と言える。つまり自己の遺伝子を出来るだけ多く残すために、オスは自分の精子を出来るだけ多くのメスにばらまき、メスは出来るだけ優秀なオスの精子を選び取り子供をつくる、というメカニズムである。
従って、現代の人間も基本的にはこの原理に従って性の行動をしていると言える。ただ現代の人間社会はそれを宗教や様々な社会規範などで覆い隠しているが、男女の性関係の原点は常にそこにあることは間違いない。
しかし、繁殖能力を終えた高齢期の男女は、このような生物進化の為の性行動の必要はない。もしそれがあるとしたら、動物の本能として組み込まれているだけである。
動物本能だから、それは死ぬまでゼロにはならないだろう。したがって、高齢期を生きるに当たってともすればそれが頭をもたげてくることは間違いない。それを否定することは生きることを否定するに等しい。

高齢期を生きるに当たって、本能を満足させることは幸せに生きる重要なファクターである。生物的役割は関係なくなったとしても、オスであり、メスである本能はその一つとして重視しなければならない。したがって、高齢期の性は豊かな人間関係づくりなど、幸せに生きる為の一つの手段としても、積極的に、大いに活用すべきではないか。

ジェロントロジーは自分学 これからの生き甲斐を求めて
 森 侑子(もり ゆうこ)

英和辞書でジェロントロジーの項を引くと、「老人学、(老化・老人問題などの研究)」などと有り、少し古い辞書には全く記載のないものも有って、自分の周りの人達に聞いても全員が「知らない、それ何?」と言い、今回の研修の場であるハワイの人達に聞いても同様の答えが返り、知名度は極めて低いと思われる。
SLAの中ではこれ程大きなテーマになっているのに、首都圏における大学のどの案内にも学科として、講座として独立している所はなく、これからの学問としてどのように取り組んでいくのか手探りの状態である。

20代・30代の頃には自分が老人になるなんて想像もつかず、中年に至っても“当分は女盛りの35才で行こう”なんて言う大胆不敵な非論理性は、多くの人が死について“自分は当分死なないだろう”と確信を持って日常生活の中から死ぬことを排除しているのと同じようなものかと思われる。
ここへ来て、「おっとっと」とか「あれ、こんな筈ではなかったのに」とか言う場面が出てくると、気ばかり若くともそうは問屋が卸さないことを知り“これこそがジェロントロジー”と身を以て実感することが多くなった。精神的な老化も肉体的な老化もジワジワと押し寄せて来て、ある日突然にやって来る死は避けられないもので有っても、「どうせ年だから」などと言うことなく、楽しく充実した日々でありたいと思う。

電車の中で携帯電話を使用している若者に注意して「くそばばあ」などと言われれば一日中不愉快であるが、人に優しい言葉をかけられると何時までもほのぼのとした気分で過ごせることを思えば、良いと思われることを身の周りの小さいことから実行してみよう。スーパーマーケットで声をかけてきた高齢の女性とアボガドの食べ方ひとつで話に花が咲いたりすると、人間は一人で生きては行けないのだと納得したりするのだから。

海外旅行で何も事件が起こらなければ通用する程度の英会話能力であるが、30年ほど前アメリカ旅行をした際にしばしば聞いた「Have a nice day」という言葉を最近はあまり聞かなくなり。今回の旅行でこの言葉を積極的に活用することにして、ショッピングセンターの親切なおにいちゃんやトイレ清掃のおばちゃんに帰り際にサラッとそれを言うと、皆とても驚いてそしてニッコリするので、言葉にも社会生活にも流行みたいなものが有るように思われる。現代は不特定多数の人に通用するそんな言葉にみんなが飢えているのではないだろうか。

かつて仕事のうえで出会いが有り、今は老人ホームに生活する数人の高齢の人達や中年を過ぎた人達と交わす手紙の締めくくりの言葉は“丈夫で長生き”に決めている。それは自分自身に言い聞かせているジェロントロジーの基本的な理念でもあると思われる。

家庭経済
 森居 久子 (もりい ひさこ)

6月4日の日本経済新聞に健康で過ごせる「平均寿命」が日本は74.5際で世界一と世界保健機構(WHO)が発表したと掲載されました。これは世界一の長寿のみならず健康寿命も長いことを意味します。
UHの研修講座「高齢化における問題−女性の場合」も参考にして、高齢期を楽しく、アクティブに過ごす為に、財産管理や活用を自分自身で決めて自分の為に使うことが大切であり、それは子供達やひいては国の活性化にもつながると考え、女性の立場で書き出してみました。

A 財産管理
1) まず通帳や通帳の名義の整理。
2)土地や建物或いは賃貸借契約書、実印、届出印、印鑑証明カード(最近は住民票など証明も兼ねている)、保険証書などを「透明」なファイルケースにまとめます。
3) 領収書はためずに日付順に出来たら其の日に専用のファイルケースに収める。
4) なくした証書、通帳など再発行できるものは手続きする。
5) 退職金で整理できる金額のものはして、年金を考慮しながら、生活設計をたてる。ただしハイリスク・ハイリターンの商品は購入しないこと。
6) 貸金庫を借りている場合は中身のリストも忘れず記入しておく。 以上を手元の金庫にまとめて入れておきます。ただし開ける番号を忘れてしまうことがありますので、ノートなどに記入しておくこと。

B 年金、保険、介護保険、相続、葬儀
1)面倒に考えず、それぞれの内容を勉強する。
2)通信販売、インターネット販売の注意点を把握しておく。
3) カードでの購入にも注意を払い、レシートとの確認、ファイルを忘れずに。
4) 悪質商法にかからぬように、周囲の人々と日頃からコミュニケーション(孤独にならぬ)のある暮らしをする。
5) 安全な一人暮らしの為にも、まず公的機関を調べて利用する(福祉電話など)。
6) 法定相続仕方以外の希望があれば遺言書を書いておく。いづれにしても皆が納得した遺言を書くこと。
7) 葬儀、墓についても決めておく。

以上の他、夫婦、親子の関係などの問題が生じた時、気軽に相談できる公的資格のある知人、かかりつけ医を持ち、また友人をたくさんつくり、心豊かな老後が送れるようにしたいものです。

ジェロントロジーとは
 山下 由喜子 (やました ゆきこ)

生まれてから死ぬまで家族との関わりは大切なテーマです。親として、子供として、また夫婦としてより良い関係を持つために、お互いの「自立」が必要ですが、精神的だけでなく経済的、社会的、哲学的に考えていくことがジェロントロジーです。家族問題はまた、住まい方も大きく関係します。大家族から核家族になり、さらに一人住まいが増えていますが、元気で長生きするためには、コミュニケーションが大切です。若い人、高齢者、子供たち、それぞれが交流できる住まい方、ふれあいの場を考えていく必要があります。お互いに刺激し合って年齢に関係なく、生き生きとアクティブに生きていくことがジェロントロジーの目標ともいえます。

住まいを考えるとき、環境や間取り、インテリアを重視する場合が多いと思いますが、一生を通じて家族構成の変化、退職などによる生活の変化、加齢による体力、知力の変化などに対応出来る住まいを選択していくことが大切です。バリアフリーなどのハード面ばかりでなく、一人の人間として充実した、張りのある生活を過ごせる『住まい』は、介護が必要になった時も、心豊かに明るく生きていける場所になると思います。